中国産緑のレーズンが比較的安全な原料として自然食品店で販売され、ベーカリーは天然酵母培養の元種やレーズンパンの原料としてこのレーズンを使用していた。
1986年・緑のレーズンの不作によって、新物の出荷が始まるとすぐ原料不足となり、卸問屋の在庫を全て予約しても半年間に使う量 を確保するのがやっと。干し葡萄酵母が定着し、また天然酵母パンのバリエーションを作る少ない原料としてもこのレーズンの確保は必至だった
神戸の中華街にある問屋を窓口に生産情報の収集、緑のレーズンを使っているベーカリーが半年間に必要な原料を合算。中国からの生産情報を待つ。
情報が来た「比較的日本に近い港に集荷される葡萄の産地は不作、シルクロードの西方遥かな産地は平年作、中国内の東への物流は不安定で、荷物がいつ着くか分からない、価格も高くなる」日本の輸入業者にとってメリットのない商品になり、1986年後半の日本市場で中国産緑のレーズンは販売されなかった。
シルクロード西方から緑のレーズンを共同購入。レーズンを納めたコンテナは、トルコの港イスタンブールから日本に届いた。
大切な原料の確保を輸入業者に任せておくことはできなかった。そして生産者、生産地、栽培方法などの情報が届くレーズンを探し求めた。
有機カリフォルニアレーズンの輸入が始まり、パン屋への卸業務と袋詰め加工・販売業務がスタートする。ピエールはウォールナッツ、プルーンなどの原材料も有機栽培された農産物を企画し、天然酵母パンのバリエーションが少しづつ増えていった。
有機ドライフルーツ・ナッツの輸入、販売もピエールによって始められた。
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