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1972年 |
ヨガ・マクロビオティックなど東洋的な考え方が流行る。ピエールは東洋の食事「玄米菜食」の考え方こそ自分の生き方だと直感し、高校をやめ2年間働いてお金を貯めた。 |
1975年 |
ヒッチハイクで日本へ向けて旅立つ。イタリア、ユーゴスラビア、ギリシャ、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタンを経由して第一の目的地インドに着く。インドからは船と飛行機を使って日本へ。3ヶ月滞在し東京三鷹で若者たちと共同生活を送る。帰国後、アビニヨンでベジタリアンのための自然食レストランを開く。この頃菜食主義がブームになり始めていた。 |
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1978年 |
2年間経営したレストランを閉店。美味しくて栄養的にも優れている味噌と醤油を学ぶため再び日本へ向けて旅立つ。 |
1981年 |
日本語を学び、日本の社会を学んだピエールは、製パン機械の輸入商社ホンビックで石臼やパン焼釜の営業を始めた。翌年ホンビックは東京都調布市にパン工場「ルヴァン」を設立。そこで自家製天然酵母(フルーツ酵母)と自然塩、石臼挽き全粒粉を原材料とするピエールのパン作りが始まる。 |
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1982年 |
「ルヴァン」を退社、埼玉県北本市の「(株)味輝」で天然酵母の研究とパン製造の技術を身につける。自然食品店への営業や新しいパンの企画、2年間が瞬く間に過ぎる。 |
1985年 |
「(株)味輝」退社後、独立の準備のためヨーロッパへ、ドイツ、ルドルフシュタイナーの農業研究所を訪ね「バックフェルメント(小麦の粒に棲息する野生の酵母と乳酸菌などを、自然の生命力を活かして培養)」に出会う。帰国後バックフェルメントを使う"夢市場生産センター"の技術指導(2月)、4月に(株)ノヴァを設立、8月には現在の場所にノヴァベーカリーをオープン。無農薬栽培国産小麦を石臼で自家製粉し、天然酵母で発酵した「王様のパン」「ももたろう」「もう一つの伝統のライ麦味」という3種類の生地で作った8種類のパンを宅配便で全国にお届けするピエールの新たなパン作りが始まる。 |
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1986年 |
中国産の緑の干しぶどうが不作となり原料の確保が不安定となる。干しぶどうに棲息する酵母を培養してパン種を起こしているパン屋が多く、安定した干しぶどうの生産地が必要となってきた。ピエールは有機栽培の基準が確立している米国カリフォルニア州からの原料輸入を企画した。 |
1987年 |
カリフォルニアの生産者と契約ができ有機干しぶどうの輸入販売開始。 |
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1999年 |
17年間続けたパン製造を7月に終了。小麦、天然酵母、パン作りをキーワードに長年の経験を生かして酵母の研究の道を歩き始める。 |
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