Episode1 (1975年)
 

 ギリシャに向かって、一台のワーゲンが走る。ベージュの車体は、舗装されていないユーゴスラビアの国道と同じくらいボコボコ。エクサン・プロヴァンスから来た二組の学生夫婦が、ユーゴのどこかの町で、ピエールを乗せてくれた。もう何10キロもジャリ道が続いている。1975年。彼はヒッチハイクで日本に向かっていた。

 走り続ける彼らの視界に突然、一本のオリーブの木が、飛び込んできた。その背後には、どこまでも麦畑が続いている。季節は6月。麦秋を迎えた麦の海は、風に吹かれ、黄金色のさざ波がたっている。"お百姓さん"が、日差しを避けて昼食を食べたり、休憩をするためだろう、畑には点々とオリーブのオアシスがある。それ以外は何も見えない。 ギリシャの国境に入ったのだ。麦畑は見慣れているフランス育ちのピエールもこんな風景は、初めてだった。ワーゲンから飛び降りると、麦の穂をほおばり、その味を噛みしめた。

 サンタナの音楽をバックに彼らは、ギリシャを横断した。途中の町で、ピエールはヨーロッパのパンの"基礎"に出合った。市場のはずれにある、白い壁にブルーの鎧戸の小さな店。といっても、ショーウィンドーがあるわけでもなし。全く普通 の民家と変わらない老夫婦二人の店。完全粉(全粒粉)と水と塩だけを原料にした、ずっしりと重く、少し細長い形の黒っぽいパンをおばあさんが、窓から手渡す。"プスモ・パブロ"−−"貧乏人のパン"

富民協会「農業富民」1994・8  著者 杉尾和枝より抜粋
ピエールがヒッチハイクで日本に向かう旅の途中、日本でパンを作り始める7年も前にヨーロッパのパンの"基礎"に出合った。このパンのイメージはピエールの人生の大きな力となる。