二度目の旅立、目的地は日本。バックの中には小さな石臼が入っている。
ヨーロッパでは自然食が定着し、小麦やライ麦の全粒粉を家庭で挽く小さな電動石臼がブームになり始めていた。電動石臼メーカーに勤めている友人は日本での販売をピエールに依頼した。
日本の自然食品店には全粒粉を使ったパンは無く、小麦の粒はどの店頭にも無かった。小麦は、米と同じ法律で政府に管理されていて、自由に売買できなかった。
ピエールは、日本語を学びフランス語を教えながら小麦の粒を探した。自然食品店で買った干しぶどうから天然酵母を起こす研究も始めた。自分の食べるパンを作るために。
小麦の粒は、無農薬栽培を実践している農家との出会いがあって、直接買うことができた。干しぶどうの天然酵母は時間をかけて安定してきた。
この時に作り始めたパンの原材料はうどん用の小麦で、初めてパンの原料として使われた。
日本に旅立つピエールのバックに入った小さな石臼と、ギリシャで出合った全粒粉と水と塩だけを原料にした黒っぽいパン、 "プスモ・パブロ"−"貧乏人のパン"、この二つの偶然が日本のパン文化に新しいページを創り出したのだ。 |